現在は洋室化が進んでおり、畳の部屋が少なくなっている。ここは代々畳屋を営んでおり、畳屋はだいぶ少なくなっているが、現在もずっと続けている貴重な店である。金沢には町屋が多く残っており、従来のやり方の畳づくりを伝承している職人がいる店である。
ご主人がおられたので、いろいろ聞きたかったが、忙しく仕事をしていたので遠慮した。
さらに先を歩くと、また「中央通り」にでるが、その角に「旧大工町」の標柱が立っていた。「寛永の大火のあと、ここに拝領地を受けて藩の御大工衆が住んだことからこの名がついた」とあった。享保と宝暦の2回の大火により、多くの大工は他に移転したという。
中央通りができる前の「河原町」、「大工町」付近の様子で、まだ「石置き屋根」の家が見える(昭和36年)。この頃のことは私もよく覚えているが、私が住んでいた近くには
「石置き屋根」はもう既になかったと記憶している。
大通りを渡りさらに小路を歩くと、右側に以前によく入ったおでん屋「美幸」の店があった。最近は観光客も増え、さらに多くの人でごった返しているのではと思う。
「海遊亭」は「北王子魯山人」が修行したという高級料亭「山の尾」の姉妹店であり和食の店である。随分前に入ったことがあるが、どんな店だったかあまり記憶がない。
さらに歩くと玄関は木戸になっていて、1階も2階も広い格子戸がある立派な町屋があった。「古流家元花庵 華林苑」とあったが、生け花関係の屋敷か?
「旧大工町」の小路をまっすぐ行って、ぶつかったところに長い小路「十三間町」があるが、その通りに出たところに1階の2階の庇の間に小さなガラス戸がある町家風の店があったが、店はシャッターが下りていた。看板には「松本紙店」とあったが、店前にメニューが描かれているのを見ると現在は夜は小さな飲み屋のようだ。