前々回の続きで、「佃の佃屋」を少し戻ると久保市乙剣宮(おとつるぎぐう)
の神社がある。
ここの歴史は非常に古く、中世にさかのぼる。この付近を小坂庄窪市村
と称し、ここの産土神(うぶすなかみ)として創建された。
またここにはその頃市場もでき、金沢の市場発祥の地でもある
境内には泉鏡花の句碑「うつくしや 鶯あけの明星に」が建つ。
鏡花が少年時代に遊んだ場所で、「照葉狂言」など小説によく出てくる。
神社の隣の家は蕉門十哲(松尾芭蕉の門人)のひとりで、刀研師だった
立花北枝の居住跡であるという。
北枝は松尾芭蕉が「おくのほそ道」で北陸路を旅したときに、一番長く
芭蕉についていた人である。そしてその教えを「山中問答」などにまとめた
という。
神社の裏の石門には、粟ヶ崎遊園の平澤嘉太郎と長生殿本舗の
中宮茂吉の名前が彫ってあった。
その門を通ると、「暗がり坂」がある。昼間でも薄暗いところだ。
花街に遊びに行く尾張町の旦那衆が人目を避けてここを通ったという。
ぞくに「ひよどり越え」と呼んでいるからおもしろい。
この坂を下ったところにギャラリーがあった。
ここはアメリカ人の版画家の「クリフトン・カートン」氏が自宅兼アトリエとして
使っていたところだという。
このギャラリーに入ると、この人の版画や墨絵が数多く飾ってあり、アメリカや
ヨーロッパなどで展覧会を開いたという。
この絵の額縁を作っているという人が説明してくれた。
金沢の風景、街角の画や天井には12支の干支の画が貼ってあった。
おもしろい画が見れた。
より大きな地図で 久保市神社 を表示