「信夫山」の展望台からは、福島市内が一望できる。
別の展望台からは、市内を流れる「松川」や東北新幹線、JR東北本線、遠くには「吾妻連峰」が見える。町中にこれだけ高い山があるのも珍しい。
ちょうど緑の「東北新幹線」と赤い「秋田こまち」の「秋田新幹線」の車両がすれ違うのを撮ることができた。
山の中には、緑の木が映え景色もよく、手前には墓場もある。
この信夫山には2,3のお寺もあり、お参りの訪れている人も見かけた。
天台宗の薬王院というお寺があった。
続いて、この辺の見所についてホテルが言っていた「二本松城」へ行った。
「二本松城」は、阿武隈山系の裾野に位置する標高345mの白旗が峰を中心として、三方が丘陵に囲まれた「馬蹄形城郭」で、自然地形を巧みに利活用した要塞堅固な名城だったという。15世紀中ごろは畠山氏の居城で、一時は伊達氏の支配の後、会津領として、蒲生、上杉、加藤氏らの城代が続いた。1643(寛永20)年に丹羽光重が白河藩から二本松藩に入封され、以後220年にわたり丹羽氏の居城となり、慶応4年に戊辰戦争を迎える。戊辰戦争では旧幕府軍(東軍)の要衝として位置づけられ、隣藩会津への義に殉じて戦火に巻き込まれたという。その城の門に手前に戊辰戦争の二本松最大の激戦地・大壇口における二本松少年隊の奮戦姿と、わが子の出陣服を仕立てる母の姿を表わしたブロンズ像が建っている。
初代藩主丹羽光重が入部まもなく、城内整備のために御殿とともの最初に建てた「箕輪門」は、主柱の巨木は領内箕輪村山寺山の御神木を用いたからという。
城内ではちょうど「菊人形まつり」が開かれていた。
二本松には、藩政期より菊の愛好者が多く昭和初期から菊人形が街に飾られていたという。
菊人形を作り上げているところ