2024年6月29日土曜日

敦賀ドライブ(3)越前そば 敦賀赤レンガ倉庫

 敦賀ドライブ(2)気比神社②の続きで、昼飯時になったので、近くにあった観光協会で、「越前そば」が食べれる所を聞いた。

街中にはいろいろなオブジェが置かれ、歩くコースを楽しませてくれる。このオブジェは敦賀の町、すなわち良好な港や明治の鉄道などインフラを作っているころの様子か?後で知ったが「御砂持ち神事の像」という題が付いていた。



















また、「鉄道と港の町」として、「宇宙戦艦ヤマト」のモニュメントが敦賀の街中にあちこちにあるらしい。こういいうオブジェが作られたのも、新幹線開通によってくる人たちの目を楽しませるためのものだろう。金沢駅前にも面白い形の「やかんのオブジェ」が置かれているし、山陰の境港には、「ゲゲゲの鬼太郎」のオブジェが置かれているのを見たことがある。


















商店街にあった「おろしそば」の暖簾が掛かっている店に入った。


















「天ぷらそば」を食べたが、さすが「越前そば」は。おいしい。


















続いて車で少し走って、「敦賀赤レンガ倉庫」にいった。この倉庫は、ニューヨークの石油会社が石油の貯蔵用の倉庫として1905(明治38)年に建てられたものだという。



















建物の隣に、昔、敦賀から小浜線を走っていた「急行 わかさ」の電車が展示されたいた。
























赤レンガ倉庫は2棟建っており、「オランダ積み」のレンガで、三角屋根の壁部分に鉄製の格子に扉が付いていた。玄関には、周囲が白い陶器(?)で、鉄製の扉があった。その上にはこげ茶色(焼きすぎ煉瓦)がアーチ状に張られアクセントとしている。


















この建物の内部は、無柱の空間となっており、石油の倉庫だったことから、地下5mまで油漏れ対策が施されるなど工夫がなされているという。現在は昔の敦賀の町をイメージしたジオラマ館とレストランになっている。


















このジオラマ館は有料で、敦賀の山や川、駅舎と多くの線路があり、遠くには敦賀湾の海も見える。































暗くなってきて、夕方から夜の風景も体験できる。





































レストランは広々としたところで、ゆったり一息が付ける。


















私は「ジンジャーエール」と「マンゴアイス」を頂いた。


















この建物の前では、賑わいを出そうと楽器演奏や歌などの催しが行われていた。













2024年6月26日水曜日

梅雨前 卯辰山 眺望台 近江町市場

 梅雨前 卯辰山 花菖蒲園の続きで、その後「眺望台」の方に行った。ここは、昔懐かしい「ヘルスセンター」があったところである。すっかり変わってしまった。



















南側方面の眺望が開け、中央には大乗寺山、野田山などが見える、向こう側から卯辰山を何度も見たことがあるが、こちらからは久しぶりである。下の方には山側環状線から小立野方面に抜ける道路がはっきり見えるし、県立図書館の建物も見える。



















こちらは東側方面で、医王山、戸室山が見えるが、いつも見る犀川付近から見える姿と随分違っている。



















その右手の奥に見える高い山は大門山(別名 加賀富士)か?


















こちらは南部丘陵と加賀平野方向で、手前の建物は「医療センター」


















こちらは西側方面で、遠くには日本海が見える。白い高い建物は「北國新聞社ビル」、その手前に金沢城公園にある「五十間長屋」の建物が見える。


















少し下りて北西部方面の望湖台に行くと、こちらにも紫陽花がいっぱい咲いている。


















白いガクアジサイ


















白い大きなあじさいもきれいだ。


















こちらからの眺望は、かなり広く見える「日本海」や「石川県庁」の建物が見える。夕方には夕日の落ちのが見えるのでは。


















その後、卯辰山を下りて堤町にあるカフェで、モーニングサービスでアイスコーヒーとハムエッグトーストで朝食をとり一服した。これで450円とは非常にリーズナブルである。


















続いて「近江町市場」へ行くと、朝早いので人はまだほとんどいなかった。
























「ウナギのかば焼き」や今が旬の「岩ガキ」や「生ガキ」などが、その場で食べられ様になっていた。こんなに早くに外国人客が様子を見ていた。































いろいろな魚介類が並べられていたが、朝の競りで持ってきたものはまだ並べられていないのかな。


















近くに自動販売機があり、「カニグラタン」や「カニ面」、「金沢おでん」、「うな丼」、「国産牛丼」などがあったが、どんな味がするのだろうか?


2024年6月23日日曜日

梅雨前 卯辰山 花菖蒲園

 今回は、朝6時半ごろ家をて、見ごろだということで卯辰山の花菖蒲園へ行った。

14代藩主前田義康が、幕末から明治にかけて、この辺りに「卯辰山開拓」を行った案内板があった。卯辰三社などがある上の方へ行く登り階段は、地震の影響があったのか閉鎖されていた。













まだ朝早いせいもあって見に来ている人はわずかしかいなかった。


















一面に咲いた濃い紫、淡い紫、黄色などの、花菖蒲、あやめなどが見事に咲いている。


















30分ほど前に自動的に水がまかれたようで、花がしっとり濡れていた。


















ここではあじさいも多く咲いていて、見ていても飽きない。


















「ハナショブ」、「アヤメ」の違いが説明されていた。































菖蒲の葉は、子供のころに銭湯に行った時に湯船の中に置かれていたのを思い出した。































こちらの白いや紫の花菖蒲もきれいだ。



























紫やピンクの紫陽花も見事に咲いている。この時期には、また見たくなってよく来ている所である。


















以前の紫陽花に関するブログ
ライオンズクラブのこの花菖蒲園の思いについて描かれた碑が置かれていた。

2024年6月20日木曜日

梅雨前 早朝の兼六園(2)

 梅雨前 早朝の兼六園(1)の続きで、さらに園内を歩く。霞ヶ池には雪吊で有名な「唐崎松」があるが、その枝ぶりがすごく、池まで張り出している。雪吊作業の時は、作業者は池の中に入って、紐を枝に結ばなければならない。



















仙人が住むという不老長寿を願った「蓬莱島」は亀甲島とも呼ばれ亀に似ているが、その頭を表す石が3年ほど前のある時に倒れていて、まるで亀が水を飲んでるようだった。


















卯辰山が見える「眺望台」付近から、近くに建物が新しく建つのか大きなテントが覆われているのが見えた。あまり眺望を遮らないでほしいが。


















こちらは、北方向・能登方面だが、「シティーモンド」の建物が眺望を阻んでいる。



















いつも見る所とは違う方向から見る「ことじ灯篭」と雰囲気が変わる。


















「琴橋」の横からも「辰巳用水」の分水の出口が見えた。こちらは「噴水」方向に流れているのか?


















今日は水量が少ないのか琴の弦を表すという小滝が見えなかったが、その石段の上にピンの花弁が載っている。


















こちらは大名庭園の代表的な「池泉回遊式」の典型的な場所で、開けたところから森の中に入っていくところである。


















近くの休憩場所で一服し、のんびり池を眺めた。静かな場所で物思いにふけるのに格好な場所である。


















その近くに「辰巳用水」の枡があり、ここから流れが分離しているのかなあ?


















兼六園の御除け石として有名な三要石一つの「虎石」は自然石であるが、以前は足付近がもっと虎が飛び出そうとする姿によく似ていたが、少し崩れてしまったのだろうか。


















「黄門橋」は、一の設には手取渓谷の「黄門橋」付近に似ているからという名前が付けられたというが?


















こ「黄門橋」の近くにある「獅子巖」があるが、これも兼六園の魔除けの三要石に一つであるが、今では獅子に全く見えない。


















栄螺山へあがる途中の石垣にはまだテントが被ったままで、地震で崩れたのがまだ修復が終わってないようだ。


















こちらの簾の下にも「辰巳用水」の分離する枡があるのか?


















時雨亭付近の小川のそばに濃い紫色の「アヤメ」が咲いていた。


















反った石橋のひもで結ばれた石(結界)が置かれていた。ここから先は入るなということだ。