勝興寺 瑞龍寺見学ツアー(4)瑞龍寺②の続きで、その後「高岡古城公園」で、1時間くらい自由散策となった。ここの桜は有名で、当初は桜を見るというツアーだったが、今年は桜の咲くのが早く、既に散ってしまっていた。
2代藩主前田利長公は1585(天正13)年から13年間二上山上にあった守山城の城主であった。1598(慶長3)年に藩祖利家公の後を継いで藩主となり、1605(慶長10)年には隠居して富山城に移った。しかし1609(慶長14)年3月の大火により城が消失したため、高岡に城を作った。縄張りはキリシタン大名であり、城づくりの名人として有名な高山右近と伝えられている。入城して5年後に利長公は亡くなり、1615(元和元)年の一国一城令により廃城となった。しかし、城跡は残り、町民から「古御城」と親しまれた。明治になって市民の力により「高岡古城公園 」として残り、今に受け継がれている。
高岡城があったころ、城内の飲用水として数か所のあったひとつで、家臣「今枝民部」も屋敷にあったもので「民部の井戸」と呼ばれている。この大事な井戸であったために屋形を建てて、当時の遺跡として大事に保存されている。
そういえば2代藩主利長が亡くなった後、「今枝民部」は金沢に戻り、高岡町(今の文化ホールの場所)に屋敷を構えた数少ない1万石以上の家老である。
水辺に赤いツバキが咲いている。桜はもう葉桜となっている。
以前巡った「高岡古城公園」のブログ
「高岡市立歴史館」では、高岡で誕生した高峰譲吉がアメリカのニューヨークに「日米親善交流館」として「松風閣」を建てているが、その関係資料が展示されていた。
高岡市ゆかりの彫刻家「村上九郎」作の繊細で、華やかな「曲ろく」(法要などで導師が座る椅子)
「村上九郎」氏は松風殿の調度品を多く制作している。この人は、納富介次郎の招きで石川県工業学校の彫刻科教師にもなっている。
以前巡った「高峰譲吉」のブログ