2024年5月19日日曜日

珠洲焼展 しいのき迎賓館

 ゴールディングウィーク中にしいのき迎賓館で「珠洲焼展」をやっていたので見てきた。今回は、1月1日の奥能登地震で多くの被害を受けながら、その中で被災を免れた珠洲焼の展示販売されていた。現在でも大半の窯元は作陶再開の見通しが立っていないという。






































「珠洲焼」といえば、12世紀後半(平安時代末)から15世紀末(室町時代後期)にかけて珠洲郡内で生産された中世日本を代表する焼き物の一つだそうだ。窯は半島先端部に築かれ、海運により日本海沿岸の東北、北陸の各地や北海道まで運ばれていた。重いものは海運が便利だということから、焼き物は重いことから、流通コストの面では、日本海に突き出た能登半島は地の利があったという。
14世紀には最盛期を迎え、日本列島の約1/4をを商圏となったが、15世紀後半には急速に衰えてまもなく廃絶した。そして1979年に約500年後の眠りの時を超えて発祥の地に再興されることになって現在に至っている。


















珠洲焼の特徴は、須恵器 の系統を継ぎ、粘土紐を巻き上げ、叩きしめて成形を行い焼き上げる。無釉高温のために、灰が自然釉の役割を果たし、幽玄ともいえる灰黒色の落ち着いた美しさを醸し出す。当時は亀や壷、すり鉢などの日用品が多く焼かれていた。


















現代の珠洲焼は当時の作陶工程はほぼ変わらないが、花器や酒器(徳利、ぐい飲み、おちょこ)、湯呑、茶器(抹茶碗、急須)、ビアカップ、コーヒーカップ、皿、鉢、箸置きなど多くのものが投稿の手によって作られるようになった。またその味わいは、使い込むほどに味わいが出てくるものになっている。


















鉄分を多く含んだ粘土で、釉薬を使わず高温で焼き締める焼き方のため、水の浄化機能をしてくれるため花器の花は長くもちする。またビアカップに入れたビールは、釉薬を使ってないため、表面の凹凸がビールの泡立ちをきめ細かくしてくれ、おいしく飲めるという。






































会場では、ビデオにより珠洲焼のつくり方を放映していた。表面の模様などは木材で造られ型材を轆轤で回しながらやわらかい状態の時に押し当ててシンプルな模様をつけていた。


















珠洲焼で造られた皿に乗せられた御馳走が写真で掲載されていたが、御馳走を引き立てさらにおいしそうに見える。


















3年前に珠洲国際見本市を見に能登を廻った時の「珠洲焼館」へ行った時のブログ