「歴史遺産月間」の一つで「旧森紙店 石置き屋根」の見学をした。参加者は約15人くらいだった。
野町にあるこの辺りははよく通る道で、古そうな石が置かれた屋根のある家の中はどんなになっているか一度は入りたいと思っていた。
旧森紙店は、旧北國街道沿いに立つ江戸末期の木造建造物で、明治中期に森家が購入し、紙を販売してきた。1983(昭和58)年に市指定保存文化財となった。数年前に道幅を広げるということで、建物をそのままの状態で残すため「曳家」で6m後ろに下がった。
「歴史遺産月間」の一つで「旧森紙店 石置き屋根」の見学をした。参加者は約15人くらいだった。
野町にあるこの辺りははよく通る道で、古そうな石が置かれた屋根のある家の中はどんなになっているか一度は入りたいと思っていた。
旧森紙店は、旧北國街道沿いに立つ江戸末期の木造建造物で、明治中期に森家が購入し、紙を販売してきた。1983(昭和58)年に市指定保存文化財となった。数年前に道幅を広げるということで、建物をそのままの状態で残すため「曳家」で6m後ろに下がった。
前回の「冬支度の白峰」の続きで、さらに白峰を歩いた。高台から川の向こうの白峰の街並みが見えた。
今日は非常に天気が良かったので、少しドライブがしたくなり、午後に1時間ちょっとで行ける「白峰」に行った。(11月22日)
「白峰」は、石川県一の豪雪地帯で、今年の冬も「白川郷」と同じ2.5mを超えたと記憶している。金沢に雪が降る頃はとても「白峰」には行けない。
下図は白峰の総湯で、十数年前に入ったことがあるが、それ以降入ったことがない。玄関には唐破風の屋根が目立つところである。
この辺りの商店や民家は、こげ茶色に統一された街並みである。
1か月前に掲載した北斎・広重展(3)北斎の画凶老人卍期 歌川広重 江戸風景画の続きで、さらに展示品を見る。次に広重の「東海道五十三次」の絵図を掲載する。
この作品は江戸時代の旅の様子が非常にわかりやすく描かれており、その時代の生活が手に取るように知れて見ていても面白い。
「お江戸人橋 七つだち・・・・」の歌でも知らるように、江戸の旅立ちは早朝を決まっていた。日本橋から京都まで約500kmで、十数日余りの旅が始まる。早朝七つは午前4時である。朱に染まる朝焼けの空を背に、鋏箱の奴、つづいて毛槍の奴を先頭に大名行列が日本橋を渡るシーンである。 橋の手前には魚河岸から鮮魚を運ぶ魚屋たちが騒がしい。
品川は上方から下る江戸の玄関口江戸の人たちはここまで来て、旅立つ人を見送ったという。人によっては餞別の酒席まで用意し、旅つ人は品川遊女とも別れを惜しんだという。
八山橋のがけっぷちまに旅籠や屋料亭、葦簀囲いの小茶屋が立ち並び、ここからの品川湾の眺望はすごくよかったらしい。春は桜の名所の御殿山、夏は潮干狩り、秋は紅葉の海あん寺の行楽地であった。