「くらしの博物館」での企画展「金沢の小学校」を見た後、常設展示されている「金沢の昔くらし」について引き続いてみる。
金沢の昔ながらの高級なお座敷にこの赤い「紅殻色」の壁の部屋がある。特に「お茶屋さん」のお座敷は、この「紅殻色」が多い。他に金沢独自の「群青の間」のお座敷は最高級のおもてなしをする部屋として使われている。
桐のタンスは、金沢では花嫁が嫁入り道具として持ってきたので、昭和初期あたりまで各家によく見られた。
「桐火鉢」は、金沢の伝統工芸品で、表面を火で黒く焼き、表面に金箔や螺鈿をを施す。
「磁石式電話機」は右側のハンドルを回して電気を起こして使うもので、電話交換手を通して相手と話すもの
昭和30年代初期のころにあった出始めの頃の「電気洗濯機」で、右上のハンドルを回してローラの隙間を通し洗濯物を絞るというものだ。
これも30年代にレコード盤より薄くて柔らかい「ソノシート」というものが流行り、雑誌の付録として付いていたり、安価だったので生徒だった私らも買うことができ、手軽に音楽が聴けた。音はよくなかった。
昭和初期からある「加賀の玩具」には、「獅子頭」や「八幡起上がり」、「米食い鼠」、「張子の虎」などがあり、それぞれ福を招くなどの「おまじない」があり、各家によくあったという。年賀切手の題材にもなったのを覚えている。
「電気あんか」や「アルマイト性弁当箱」、「ホーロー鍋」も懐かしい用品である。生徒の頃この弁当箱をハンカチで縛って袋に入れて持って行ったことが懐かしい。
これも子供のころによく使ったインクに付けて書くペンや万年筆があったが、現在は全く使わなくなった。
メンコ(金沢ではペッタ」は円形の大小のものや長方形のもので、古くは武将などの絵だったが、後にテレビの人気者の絵などになった。私が小学校5,6年にペッタでの戦いをよくやっていたが、ペッタは長方形で軍旗物の絵だった。
「三八豪雪」は、この年に自分の家の屋根の雪下ろしを2回やった記憶があるが、こんな状態になる。