2025年3月30日日曜日

金沢美術工芸大学(2)一般公開部分 平成版百工比照

 金沢美術工芸大学(1)建物の続きで、さらに建物の中の一般公開部分を見学する。

ところどころに、卒業生の作品やその他の作品がが展示されている。























この作品は風見鶏をテーマとし、周りの状況によって自分の立場や意見を変えてしまう日和見主義な人を表現したという。周りの状況や意見を扇風機として表現し、その風に向かって、ただ正座をしている様を主義主張のない不安定な人間としてそれを表現したという。

































これは「漆の器物」で、自分の近くの野菜畑の風景からインスピレーションを得て漆器として表現した。野菜畑のイメージと積雪の形状を融合して作ったという。装飾は卵殻粉と乾漆粉を撒いたうえで漆を付けて研ぎだしたものである。









 








これは「俵屋宗達」作「扇面散図屏風」の複製品で保元平治物語や北野天神縁起などの物語や花鳥草木を主題にした42枚の扇を六曲一隻の屏風にしたもので、吉祥の文様として今日でも愛されている。


















「平成版百工比照」は、加賀藩5代藩主前田綱紀が収集した工芸標本「百工比照」にちなみ、現代に生きる工芸標本「百工比照」を収集・整理して新たな「百工比照」を作る一大事業で金沢市の協力のもと、平成21年度から進められている。


















工芸の制作や理論を専門とする美大の教員が全国の産地を訪ね、金工・漆芸・陶磁・染織の4分野で数千点におよぶ資料が収集されている。技法、制作工程、材料に関わる見本や道具類、完成した製品などが分野ごとに収蔵箱に納められており、データベースで検索が可能となっている。加賀象嵌、蒔絵、九谷焼、加賀友禅の制作工程を4K画質で撮影した工芸技術映像も見れるという。
こちらに置かれた工芸品は「人間国宝」などが作成したもので、それらがDVDで保管されていて作成の工程を詳細に見ることができ、将来の美術家たちもいつでも見ることができる。


















九谷焼の制作工程(花詰)の製品で、久谷光仙窯(金沢市内にある唯一の窯元がある)で製作されたもの
「花詰」とは九谷焼の伝統技法のひとつで、器に様々な花を描き、その輪郭を金彩で縁とる絵付けの技法


















村上木彫堆朱工程見本
堆黒塗(地紋入)
堆朱は漆を積み重ねて厚みを出し、そこに彫刻を施して文様にしたもので、村上木彫堆朱は、村上市で江戸時代に編みだされたものという。
























こちらは村上木彫堆朱工程見本の金磨塗り(椿の図)である。
























美術系の海外の雑誌がたくさん置かれていた。















2025年3月26日水曜日

金沢美術工芸大学(1)建物

今回は、県立図書館の向かいにある建物の「 金沢美術工芸大学」に行ってきた。

以前は、小立野にあったが、もう50年も経ち老朽化しこちらへ移ってきた。その前は、石引あるレンガ造りの現在は「石川県立歴史博物館」になっている建物にあった。



















金沢美術工芸大学の建物全景


















ここでの恒例となっている文化祭の「仮装行列」の様子


















この建物のは3つの設計事務所が協働し、多様な景観、多様な内部空間を実現している。7つの建物からなるキャンパスを、単純に棟ごとに担当事務所を分けるのではなく、建築をスケルトン・インフィル・ファザードに分割して、敢えてその分担を相互に乗り入れることで、「多様性」と「統一性」を両立させる設計手法に挑戦しているという。































7棟の建物があるが、下の写真のように2階にガラス張りの通路があり、学生たちは下に降りなくても別の棟に自由に行くことができる。


















建物の外には周りに石で囲われた池があり、「ビオトープ」といって亀や鯉を題材に制作活動も可能な憩い場である。


















建物の外側には大きな芝生と遊歩道があり、その道の脇には卒業買い上げ作品を屋外モニュメントとして配置されている。


















遊歩道をずっと歩いていくと脇に「辰巳用水」が流れていて、緑や水を感じながら散策できる歩行者空間になっている。


















「辰巳用水」の途中に格子窓に囲まれた柵の中にあるのは水量調整用の装置なのか(?)よくわからなかった。


















「金沢美術工芸大学」から見る「県立図書館」の建物


















一般公開された建物には、所々に作品のオブジェが置かれている。しゃがんでいる人の体に英文字が浮き出ている。


















階段前にあった白い像は一体何だろう?薄い衣を着た人のようだが、頭がなく背中に羽が付いているような「破調の美」を表しているのか。



2025年3月20日木曜日

中島町牡蠣祭り 七尾一本杉通

今回は、雲りがちだったが、能登中島町の牡蠣街道に行って、牡蠣を満喫してきた。(2月26日)例年は穴水に方がやっている店が多いはずだが 、地震の影響か中島町の方が多かった。

能登里山街道に乗って、まず「道の駅高松」で一服した。今日は風が強く日本海の白い荒波が見えた。久しぶりに冬の日本海の厳しさを見た感じである。



















中島町には現在20店舗以上の牡蠣の直売や食事処がある。そのうちの「カキ浜 海(かい)」に出発前に予約してあったので時間ぎりぎりだったが何とか入ることができた。



















11時開店で12時に予約してあったので、既に多くに人が店内にいた。



















店内には店員が手際よく、忙しそうに動いていた。



















ここの殻付きの焼き牡蠣は、銀紙を被せて焼くというスタイルである。銀紙をかぶせることによって牡蠣の上側も蒸気で暑くなるので、牡蠣全体が満遍なく熱くなり素早く焼けるのだろう。焼いてる途中で牡蠣の汁が爆発音とともに出てきて、びっくりするが、銀紙の外へは出てないようである。焼けた牡蠣を急いで食べているうちにカメラを撮るのを忘れてしまった。海の塩味が効いた焼き牡蠣は、やはり最高である。


















他に牡蠣フライや牡蠣の酢の物が出てきた。どれもおいしく食べれた。


















その後、牡蠣ご飯が出たきて、腹いっぱいになった。しかし私は「焼き牡蠣」一番好きである。



















店の横に、海から上げられたばかりの牡蠣が置かれていた。店の中のある牡蠣がなくなった時のために保管されているのだろうか。


















すぐ近くに「能登演劇堂」の建物があるので、そこまで見に行った。この日はまだ公演がなく、ひっそりしていたが1週間後くらいから「まつとおね」が始まり、賑やかになることだろう。ここは館長に「仲代達也」さんがなっており、舞台の奥が開くと建物の外の自然な場所も舞台となる粋な演劇堂である。


















この後、以前にも行ったことがある「七尾一本杉通」が地震で大きな影響を受けたと聞いていたのでどうなっているかと思い見に行った。
この店は「しら井昆布店」のようだ。


















全国でも珍しい「高澤ろうそく店」は、1階が完全に板で覆われていた。1階はよっぽど被害がひどかったのだろう。



















仮設店舗の建物があり、飲食店や小売店などが入っているようだ。こういった仮設店舗は何年か前に東日本大震災の後の岩手県の釜石で見て以来である。


















通りにある長い電柱が何本か曲がっているのが分かった。
























黒っぽい建物の壁の真ん中にブルーシートがかかっていた。そのシートの中には窓があるようだが、上には半円で洒落た文様がなされていたが、銀行の建物か?


















この洒落た建物は、特に被害がなかったように見えるが、もう直してしまったのかわからないが、カフェなのか?今日は店は開いていなかった。

2025年3月16日日曜日

超寒波第二波の最終日の兼六園(4)

 超寒波第二波の最終日の兼六園(3)の続きで、さらに園内を歩く。続いて「瓢池」の方に行った。ここは、5代藩主綱紀が最初に庭を作ったところである。千歳台と違ってここだけでもう一つの庭園として見れる素晴らしい所である。



















「瓢池」の端に立つ「三好庵 水亭」は、窓からの眺めは目の前に池が見え、滝の音を聞きながら加賀料理などを頂ける趣のある所である。




















ここの一番の見どころは、大きな音を出す「翠滝」である。周りの景色は、今は雪景色であるが、四季折々違った趣があって、いつ来ても素晴らしい眺めである。
























「汐見橋」の寒い池の中に鯉が泳いでいるのが見える。



















「海石塔」がある「中島」から「翠滝」を見る。この間から「唐笠」が見え、その上には雪がこんもりと溜まっている。

































「時雨亭」の裏付近に緑の葉が多い中に咲いていた鮮やかな赤色の椿


















その近くに明治・大正時代の頃か、この付近に立っていた「石川県商品陳列所」の写真が展示されていた。
























ツツジなど低い樹木を雪から守る3本の竹で作った「竹又吊り」があるが、下にある樹木は雪に埋もれて見えない。
























この辺りは「梅園」で多くの梅の木があるが、今年は咲くのは少し遅れそうだ。この写真は3週間前のものであるが、今日現在は見てはいないが「梅園」の梅もかなり咲いていることだろう。

2025年3月11日火曜日

超寒波第二波の最終日の兼六園(3)

 超寒波第二波の最終日の兼六園(2)の続きで、さらに園内を歩く。月見灯篭も玩月の松も雪まみれである。



















眺望台から見る山側の風景で、空がどんよりしていて私がここでよく見る好きな風景の医王山・戸室山は全く見えない。近くの山の中腹まで家並みが大きく広がっているのは「鈴見台」付近か。




















海側の方は、橋場町付近のビルが大きく見え、遠くの金沢市以北の低い山が見える。


















雪吊の枝に結ばれるロープの結び方がはっきり見える。庭師がやる技術が必要なものだろう。


















この辺りは兼六園のもっとも有名な見どころで「ことじ灯篭」、「霞ヶ池」、「内橋亭」などが見える。反橋の虹橋には人が滑らないように筵が敷かれている。この写真の右側の方には虹橋の上に立って写真を撮る人がいっぱいで珍しくきちんと整列した行列ができていた。


















「ことじ灯篭」と雪吊された「唐崎松」も角度を変えてみると、あらためて素晴らしさが分かる。池の水面の上には雪が積もっているように見える。


















こちらは「幽邃」の呈をなしている「常磐ヶ丘」は、木々が多くあり小川や小滝がある。


















温度が低くても、いつもと同じように上がっている噴水と横に小さな灯篭が備えられている。噴水は大小二つのノズルから勢いよく上がっている。これもノズルの数や大きさを変えて、いろいろ試行錯誤して、形良い上がり方を見つけて、現在のような形にしているのであろう。
こちらは噴水のしぶきのためか、水面の雪が解けている。


噴水の向かいには「旧時雨亭」の木札がかかっているが、ここが兼六園の発祥の地の場所で5代藩主綱紀が「上の御亭」を作った場所で、藩主の家族、重臣たちおよび徳川家の使者たちが招かれて観月の宴や観楓の宴や茶会などを行っている。


















下図は、江戸時代の寛政の頃の「上の御亭」の絵図で、座敷や茶室、台所などがあったという。



園内で一番長い石橋の「黄門橋」へは、危険なので通行止めとなっていた。この先の付近は木々がおい茂っていて「幽邃」の呈をなしている所である。
























「松濤坂」を下りると「茶店通り」がある。藩政期には、ここは蓮地馬場があったところで、真直ぐな長い通りである。普段は多くの人がいる所だが、今日は人の姿が見えない。それ以前の1600年頃には3代藩主利常に家康の孫にあたる「珠姫」が輿入れいた時に、300人くらいの付き人が付いてきたが、その人たちはここの長屋に住んでいた。そして「珠姫」が亡くなると江戸に帰ったという。