2024年11月14日木曜日

晩秋の犀川緑地公園

 本日(11月13日)は天気が良かったので、久しぶりに犀川緑地公園を散歩してきた。まあこの前まで夏のような暑さだったが、最近は随分涼しくなってきた。



















周りには、落葉が積もるほど落ちている。

































































































こちらは針葉樹で落葉がないので、下面もきれいな緑の草むら






































































近くの園児たちが元気よく遊んでいた。

2024年11月11日月曜日

和倉温泉 千里浜の夕焼け

 能登金剛・巌門の後、能登最大の温泉地である和倉温泉が地震後まだ開いていない宿泊施設がほとんど聞いていたのでどうなっているか見に行った。

下図の加賀屋のビルのヒビは、地震後1か月後の写真を見たことあるが、現在の10か月後も全く変わっていなかったが、どうして改修が進んでいないのであろうか?

























周辺は静かで人をほとんど見かけない。和倉温泉に活気が出ないと、やはり能登観光が始まらない。



















湯元広場のしらさぎのわき湯像の近くにあったマンホールの鉄板は割れたままであった。
































その後、途中寄った「道の駅千里浜」の横にあった砂のオブジェは、千里浜の砂が固いのでこのような細やかな巨像が作れるのであろう。行く毎に像の形が変わっている。ここのレストランの「浜焼き」はいつかは食べたいと持っている。


















すぐ近くに車が走れる「渚のドライブウェイ」があるので行くことにした。


















ここ千里浜は、全国でも唯一の砂浜で、車が走れる。千里浜の砂は日本海の荒波にも何度も押し戻されることで、砂の粒が0.2㎜程度と小さく、同じ大きさの細かい砂が水を含み、硬く引き締まることで、車の通行が可能という。


















一時、浸食がすすみ砂浜の存続の危機にあったが、今日見る限りはかなり復活しているように見えた。以前は途中に小川が流れていて、車で走ると上下に大きく揺れて危なかったが、それもなくなっていた。昔、私が小・中学校の頃は50mくらいの幅の砂浜があったので、ここでソフトボールを楽しんだ記憶がある。(砂が固いので打った球のゴロもちゃんとバウンドしていた)


















昔ほど人は少ないが、波打ち際まで車を止めれるので 、若い人たちが砂浜を楽しんでいた。
本日は全国のバイクドライバーがこの千里浜に集まるということで、多くにバイクが走っていた。


















これだけバイクが並んで走っていると圧巻の様子である。乗っている人たちは気持ちよくて楽しそうだ。


















西の空は、だんだん日が落ちてきて、夕日がきれいに見える世になってきた。































辺りが暗くなってこんなに赤くなった太陽を見るのは初めてで、自然の美しさと雄大さに圧倒された。


2024年11月5日火曜日

能登金剛・巌門

 今回は久しぶりに海を見たいと思い、また能登金剛・巌門方面は輪島や珠洲から少し離れているので、地震の影響は少ないと思い、ドライブにでかけた。












今日の海は穏やかで、広々とした海を見るのが大好きで、大自然のスケールの大きさを感じ、心もゆったりする。向こう側に見えるなだらかな陸は富来町のキャンプ地「増穂ヶ浦」の辺りであろうか?



















こちらには「巌門鷹の巣岩」と描かれた看板が掲げられていた。



















60年ほど前の学生の頃に友達と一緒に巌門に来て宿泊した記憶があるが、この辺りに他に大きな建物がなく、たぶんこの建物に泊まったのではと思う。その頃は羽咋駅まで国鉄七尾線に乗って、その後、別の電車の乗り換え「三明」まで来て、さらにバスでここまで来たことを覚えている。


















こちらの橋は、風光明媚な景観を損なわないようにデザインされた「幸せのがんもん橋」で、長さが40m、高さが30mの深い谷に架けられた吊り橋版構造を応用した新しいPC曲弦トラス橋という。橋の上から海の荒波により生み出された景観を見えるなどのフォトスポットとなっている。


















大きな岩が張り出したところには洞窟が見え、向こう側に遊覧船がこの洞窟を客に見せようと止まっているのが見えた。洞窟は日本海の荒波に浸食されてできたという。


















この辺りは、断崖絶壁と奇岩が多くあり迫力のある景観となっている。


















上の方は緑のある木々が生えているが、下の海の近くは黒ずんだごつごつした岩だけになっている。大きな洞窟には人が入れるようになっているように道が付いている。


















両側が断崖絶壁の間から滝が流れていた。
























下図のように江戸時代から有名な絶景で、あの安藤広重も版画によりこの滝の絵を描いている。




































それぞれの岩には名前が付いているが、時がたつにつれて地震などで岩の形も変わってきてしまうだろう。そういえば珠洲の観光スポットの一つの見附島「軍艦島」はすっかり形が変わってしまった。
























岩の間を歩いてみると、海の水がかなり澄んでいて、中を覗くと小さな魚が泳いでいた。


















周辺には、「日本最古の木造灯台」、「猪鼻岬」、「千畳敷岩」などもあり見どころはたくさんあるようだ。


















この岩の途中には「遭難の碑」が建てられていたが、昔から自殺者が多いことでも有名で、昭和30年代には松本清張の「ゼロの焦点」の舞台にもなった所でもある。


















ここが遊覧船の発着場で、海上からも巌門の奇岩を眺めることができる。