三国湊レトロな街並み(1)の続きで、その後も周辺の町家を歩いた。この「旧岸名家」は代々新保屋惣助(屋号新惣)と名乗り、材木商を営んだ。この建物は川方の商家造りの典型でである。建築様式は妻造りの前面に平入の屋根を伴った「がぐら建て」という三国湊独特のもので、江戸初期に建てられ、明治・大正・昭和時代に合わされて改造された。先祖は1707(宝永4)年創設された俳諧の結社の初代宗匠で岸名昨嚢(さくのう)と称す。平成16年に三国町が修復して、一般公開。平成17年気に登録有形文化財になった。
2023年7月29日土曜日
三国湊レトロな街並み(2)旧岸名家
2023年7月25日火曜日
三国湊レトロな街並み(1)
「吉崎御坊跡」を見た後、南西方面に20km走ると、「えちぜん線」の「みくに」駅がある。この近くにレトロな街並みが残る場所があるということで見に行った。この辺りは、福井県一の大きな川「九頭竜川」の河口に位置する場所で、古くから 「三国湊」は、九頭竜川と支流の「足羽川」などを使った水運による物流の拠点として栄えた。「一乗谷の朝倉氏」や北ノ庄の「柴田勝家」も荷揚げ用としてここを使っていた。また江戸時代中期からは「北前船」が始まり、関西から北海道までの物品が集まり、物流の一大拠点としてにぎわい、湊町には北前船を所有する廻船問屋が発展し、いろいろな物品を販売する商店などが並び、町は大きく発展した。明治時代も続いたが、鉄道が開通し、物流が船から鉄道に移行し次第に衰退していった。
三国湊は、北前船が残した歴史や文化の名残が格子戸が連なる街並みなどが残っている場所である。
近くにあった「和泉金物店」に入ると、以前からやっている金物よりも、面白い手作りの民芸品の置物やこの辺りで得られる材料で手作りのいろいろな楽器(笛やウクレレ、ドラムなど)を作ったものが並べられていた。ウクレレの弦を弾いてみると結構いい音が出た。ここの女主人は、この民族楽器を使って「近所の人たちとのメンバーで練習していて、たまに演奏会を開いている」と言っていた。楽しそうだ。
2023年7月20日木曜日
吉崎御坊跡(4)道の駅 蓮如のさと
吉崎御坊跡(3)御山の続きで、その後御山を下りる途中に石垣が積まれた間の穴にいくつかの観音様が安置されていた。これは「岩崎観音」と言われているが、西御坊下の船頭衆たちが「石山観音像」を刻むことになり、船稼業の人たちの長いをこめて、「如意観音」、「普賢菩薩」、「子育菩薩」、知恵の「文殊菩薩」など、海上安全の船霊宮の石仏を建立した。
2023年7月16日日曜日
吉崎御坊跡(3)御山
吉崎御坊跡(2)東別院 願慶寺の続きで、さらに階段を上っていくと、山の上に広い平らな丘がある。ここは御山と呼ばれていて、蓮如が大伽藍を建て築いた場所であるが、現在は東西本願寺の共有地となっている。
すぐ近くに「児玉尼のお墓」がある。蓮如上人の4子二女で、上人の吉崎御坊の建立をきき父の下へ馳せ参じたが、まもなく病に伏して1年余りで亡くなった。蓮如上人は児玉尼を荼毘にふす前夜に不思議な夢を見られたことを御文に書き残しているという。児玉尼享年26歳。蓮如上人には、27人の子供がいて男13人、女14人であった。
2023年7月12日水曜日
吉崎御坊跡(2)東別院 願慶寺
吉崎御坊跡(1)歴史 西別院の続きで、その後、一度下に降りて隣の真宗大谷派吉崎東別院の方に行った。