今回は、早朝3時間に20cm降り「顕著な大雪」という表現だった日は、午前中雪かきに追われ、午後に「長町武家屋敷跡」を歩いた。(2月22日)
コロナの万延防止重点措置により、ほとんど観光客はいなかった。
「前田土佐の守家資料館」付近
「大野庄用水」の縁に連なっている石のブロックの上にもこんもり雪が積もっている。
今回は、早朝3時間に20cm降り「顕著な大雪」という表現だった日は、午前中雪かきに追われ、午後に「長町武家屋敷跡」を歩いた。(2月22日)
コロナの万延防止重点措置により、ほとんど観光客はいなかった。
「前田土佐の守家資料館」付近
「大野庄用水」の縁に連なっている石のブロックの上にもこんもり雪が積もっている。
今回は、以前行っていた会社の先輩に誘われて入ったことがある南塚町にある「 野菜古民家」にランチを食べに行った。ここは、築100年位のアズマダチの立派な農家だったようだ。屋根下の三角形の部分には、漆喰の上に明取の格子のついた窓がある。また、その建物の横には大きな蔵が付いていた。
昔のあかり くらしの博物館(1)の続きで、さらに「昔のあかり」展を見る。
1879年頃からエジソンが実用化した「白熱電球」が使われるようになり、日本には1885(明治15)年に輸入され、明治23年には生産が始まり、明治30年頃から室内に電灯が使われるようになったという。さらに1938(昭和13)年にアメリカで蛍光灯が発明され、日本では東京芝浦電気が1940(昭和15)年に完成し、1955(昭和30)年頃から広く使われるようになったという。
今回は、飛梅町にある「くらしの博物館」で、「昔のあかり」の企画展があったので見に行った。ここの建物は、このブログでも紹介しているが、明治時代に建てられた「旧第二中学校」で、「 三尖塔校舎」の愛称で親しまれてきた。当時の姿をよく残していることで平成29年に国重要文化財に指定された。
古くから植物の油は明かりに使われ、江戸時代には菜種油が使われた。高い場所に置き、風で消えないように紙で覆われているものを「行灯」といわれる。上部の写真は「有明行灯」で、黒い箱の側面に満月、半月、三日月の穴があり、どちらを向けるかで明るさを調節できる。