寺町寺院群 寺宝公開 2021年(1)雨宝院の続きで、続いて近くにある「大蓮寺」に入った。ここも私は、以前に境内には何度か、さらに涅槃会の法要の際に、お寺に入ったことがある。
豪姫と秀家の位牌とともに、奥にあるのは豪姫が秀家と2人の息子たちの無事を祈ったという念持仏の「聖観立像」がある。
寺町寺院群 寺宝公開 2021年(1)雨宝院の続きで、続いて近くにある「大蓮寺」に入った。ここも私は、以前に境内には何度か、さらに涅槃会の法要の際に、お寺に入ったことがある。
豪姫と秀家の位牌とともに、奥にあるのは豪姫が秀家と2人の息子たちの無事を祈ったという念持仏の「聖観立像」がある。
今回は、寺町寺院群の中で6つのお寺が「寺宝特別公開」するということで、2日間の初日に「雨宝院」、「大蓮寺」、「承証寺」の3つのお寺の中に入った。(11月21日)
まず、千日町にある「室生犀星」が育った寺として有名な「雨宝院」に入った。ここの境内には何度か来ているが、中に入るのは初めてである。
本堂に入るとすでに住職さんの読経が始まっていた。
そのひとつは「雨宝童子立像」で、天照大神の化現とされ、頭上に五輪塔を掲げ、右手に金剛宝棒を持ち、左手に如意宝珠を持つ。天照大神が日向国に下生した時の姿をいい、また大日如来の化現ともいう。
今回は、久しぶりに片町へ友人と飲みに行くことになった。それで帰りに香林坊・片町の大通りのきれいなイルミネーションを見た。香林坊交差点からラモーダ付近まで、ケヤキ並木が11万個の白いLDEで彩られている。
美川の町は、手取川扇状地の扇端に当たる、海と隣接する場所に築かれた街である。江戸中期から明治時代には日本から瀬戸内海を通って北海道と京都・堺を結ぶの北前船の寄港地として発展し、北前交易で財を成した船主達によって、美川は大いに栄えたという。
美川は「砂丘の町」と言われてるが、これらの形成にはいくつかの条件があるという。まず一番は、手取川が運んできた砂がたまって砂浜を作り、その砂浜の砂が風で舞い上がってできた砂丘である。とくに美川の海は遠浅で、強い季節風が砂を噴き上げてできたものだという。
また、美川に大きな砂丘ができた理由は、砂粒の大きさが大きいという。安原、内灘、千里浜の砂に比べて大きいことがわかる。これは手取川から運ばれた砂のうち、粒の細かいものは内灘や千里浜へ運ばれている。
手取ジオパーク巡り(5)白山比咩神社①の続きで、さらに境内を歩く。
「手取川」の案内板があり、白山山系を源とするわが国有数の急流を持つ県内随一の河川で、飲み水や水力発電、農業用水などに石川県の多くの市町村に供給されている。
旧社地は前回のブログで紹介した「旧加賀一の宮駅」の近くの古宮公園安久涛の森にあったが、1480(文明12)年たいかによって大伽藍が消失した後、現在地に鎮座したという。現在は全国に三千余りの「白山神社」の総本山である。