2014年5月8日木曜日

野町通り(2)

前回に続いて、今度は野町通りの向かい側を歩いた。店の前に九谷焼の国宝「三代徳田八十吉」のつぼが飾ってあった古美術品の「鍋谷」という店に入った。




















店の中には九谷焼を中心とした皿、向付、香炉や茶道具、掛け軸などが並んでいた。
ここの店のおばさんが出てきて、「私は武蔵の大店の娘で、18歳でここに嫁に来た」と言っていた。昔の武蔵付近は私もよく知っているのでいろいろ懐かしい話をした。




















続いて少し歩くと「石浦神堂店」という店があった。
ここでは手作りの神堂神具など神社用品、鳥居のしめなわ、縁起物などが並べたあった。




















ここの店の主人が出てきたので、いろいろと話を聞いた。神棚がたくさん並んでいたが、伊勢神宮の御用材に使われている「木曽ひのき」がお勧めで、その他の「ひのき」、「ひば」などもつかわれている。また、「黒檀」で作ったものもあった。
神棚は一つの木から作っているが、最近は木の伐採が多く、大きな木は採れなくなってきているという。神棚にほこりが入らないようにガラスケースに入っているものもあった。




















ここではすべて手作りでやっていて、自前の工場は昌永町にあり、その他は外注でやっている。仏壇を扱っている店は金沢に何軒かあるが、神棚を中心に売っている店は珍しい。

少し歩くと高いビルがあったが、ここにも「アパホテル」があった。東金沢駅付近にもたくさんの「アパマンション」が建っているが、手広くやっている。


























ここ野町の名前の由来は藩政期初期に松林や雑木林であったが、城下町の拡大に伴い町地となった。はじめ泉野町といわれ、のちに略されてこの名で呼ばれるようになったという。




















続いてこの近くに古時計を修理し復元させるという職人がいるということを雑誌で読んだことを思い出しそこへ行くことにした。店の前にはなにも看板がかかっていなかったが、それらしい店が広小路交差点から西インター方向に向かって右手にあったので入った。




















店内には古い時計がたくさん並べられていて、ひとりの和時計師が黙々と作業をしていた。
ここには。昔のヨーロッパやアメリカや日本の江戸時代の時計も並べられており、この人によって復元されていた。レトロな時計を好きな人にはたまらないだろう。





















江戸時代のものだという時計には表示板や針がまだ付いていなかったが、どういう形をしていたのだろうか?


























現在はクオーツ時計が主流だが、精巧に作られた歯車とぜんまいと振子だけでできているからすごい。


























私の小さい頃に家にあった柱時計は時刻になると「ボーンボーン」と響きのよい音を鳴らしていたが、そんな時計はたくさんあるので安いといっていた。




















全国でもこういった職人は数少ないので、ネットや口コミで商売がやれ、大変忙しいという。ずっと長く使っている時計は愛着があり、大事なものなので思いがけない値段で決まることもあるという。
人がやれない手に技術を持っていると、人もうらやむ商売ができる。
ネットオクションで壊れた古い時計を買い、それを修理して直し、またネットオクションに出して売っているらしい。
職人気質の人らしく「忙しいから用がないのなら早く帰ってくれ」と言われてしまった。




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